僕は昔「偏差値至上主義者」だった。〜悩める平安貴族〜 その②


 

さて、ようやく平安貴族の比ゆの説明をしようと思います。

このことに気づいたのは多分25歳の時でした。
大学を4年で卒業して、無事に一部上場企業に就職して3年目の頃です。
決して超有名企業ではないけど、待遇も良く、福利厚生もしっかりした会社でした。
それでも、60歳までの人生を考えた時に、生意気にも「俺はこのままで人生終わっていいんだろうか?」
と悩んでました。
それで、会社に内緒で転職サイトに登録して転職活動をちょこちょこしてたんです。
まあ、口先だけで何も実績のない若造なんで受けるところ受けるところ全部落とされました笑

 

それで、飲んだくれて(何の行事か忘れたけどこの頃は平日は週3,4は飲み会がありました。人事にいたから仕事の飲みがあって、それ以外にも会社の先輩や課長さんたちからよく誘ってもらってたんです)起きた次の日の朝にふと気づいたんです。

自分は知らず知らずのうちに思考に制限を掛けていると。
その時の制限はこうでした。
「大学を出たんだから、ちゃんとした大きな企業で働かないといけない」
だから、自分の可能性を探すということが、「自分が輝ける違う会社を探す」と言うことになるんだと。
この思考の枠に気づいた時は自分でもびっくりしました。

 

それで、この枠を捨てて考えてみようと思いました。
でもね、具体的にこうすれば良いと言う道は思いつきませんでした。

 

だから
「仕事とか就職とかはもうどうでもいい!お前は何がしたいんだ!とりあえずやりたいことしてみろ!」
って自問しました。

そしたら、「旅がしたい。沢木幸太郎の『深夜特急』みたいな旅行記を書いてみたい!」
って心の底から言葉が出たんです。

それで、会社を辞めてバックパッカーになったんです。
その先に何があるかなんて考えてなかった。無謀です(笑)
本当に単なる結果オーライです(笑)

今思い返してみて、あの時に自分が納得する、職業として生計にまでつながる100%の答えを求めていたら、ずっと動けずあのまま会社にいたと思います。
どうなるか分からないけど、自分の思考の枠をぶっ壊すためだけに行動して良かったです。

それで、バックパッカーになって東南アジアを半年とヨーロッパを半年の計1年旅しました。
この旅で気づいたことはたくさんあるんですけど、東南アジアが影響大きかったですね。
屋台を引いてるおばちゃんバイタクのおじちゃんとか、色んな方法でみんな生きてるんですよ。
みんなそんなに儲かってないだろうけど、そこそこ楽しそうに生きてるんですよ。
「大企業のオフィスでしか生きていく場所はない。そこを出たらもう人生おしまいだ。」と本気で思って生きていた僕には衝撃でした。
人間って、何やったっていいんだな。知能指数と偏差値だけでする仕事以外にも、地味に他人の役に立つことすればそれで生きていけるんだと思いました。
そして、そういう地道に生きてる人が尊く見えてきたんです。
多分、僕って勉強はできるけど、それ以外の部分ってバカと言うかポンコツなんですよ。
こういうことに気づくために会社辞めて旅しないと分からなかったんです笑

 

でね、この有名大学→大企業「しかない」って思い込みは、平安時代の貴族に似てると思うんですよ。
塾講師と言う仕事柄、古文も教えるので彼らの気持ちが分かる気がします。
平安時代の貴族は京都で優雅に和歌を詠んだり蹴鞠を蹴ったりしてるけど、京都以外に生きる場所が無かったと思うんですよ。
もちろん、この時代は人口の圧倒的多数は農民で、字なんか読めなくて毎日農作業してたんです。
ただ、現実的に京都で生まれ育った貴族が、貴族をやめて農民の暮らしができるかといえば、無理なんですよ。
筆より重いものもったことなかったろうし。
ちなみに、古文単語に「あやし」と言う単語があります。
これは「不思議だ、奇妙だ」と言う意味とともに「身分が低い」と言う意味もあります。
貴族たちから見て庶民の暮らしが違い過ぎてて不思議に見えたかららしいです。
だからそんな貴族にとって雅な京都から離れるのは苦痛で仕方なくて、「流罪」と言って田舎に送ると言う罰もあったくらいなんです。
伊勢物語の冒頭も「東下り」と言って、京都でやらかした中級貴族が居場所がなくて東国に行くという出だしで始まります。

分かりにくい喩えですみません笑

長いので続きます。

 

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