僕は昔「偏差値至上主義者」だった。〜悩める平安貴族〜 その①


のっけからタイトルが比ゆ表現でごめんなさい。

今回の記事は自分の内面の黒歴史をさらけ出す内容なので、正直あまり書くのが進まない話です。

この塾のHPの経歴見てもらえば分かる通り、僕は高学歴な人間です。

そして価値観が二軸だとか最近は言ってますが、ある時期まではゴリゴリの偏差値と学歴、そしておそらくはその先にある就職先や業種(医者とか弁護士はうちの高校OBはごろごろいるんです)で人の価値を判断する人間でした。

一言で言えば「偏差値人間」と言うんですかね。
本気で、勉強ができる(勉強を頑張った)人間は偉くて、その頭脳で社会を導く立場に就いて高い報酬をもらえる(もらうべきだ!)と思ってました。

そして勉強ができない人は残念ながらそのクラスには入れなかった人だから、勉強できる人間の指示を受けて、額に汗して体を動かして貢献するしかない、と本気で思ってました。

いやぁー、今思い出しても嫌な奴ですね笑

このブログを書けと催促してくれてるイトーちゃんからもこう言われました。
「その時代のなるさんだったら、多分絡んでない笑」

 

ただ残念なのは、こういう思考法が実はまあまあこの社会にうっすらと普及していることです。

一人一人の頭の中までは分からないですが、なんだかんだ言って高学歴の人や、子供を高学歴にしたいと熱心な親御さんはこういう価値観を持っているんじゃないかと思うんですよ。

だから、学歴コンプレックスというのがあるわけですし。
こないだ彦根の花見で会った狩野さんというおじさんも「自分に学歴がないから、高学歴の人間に見下されているんじゃないか?」と感じると言ってました。

多分、まだまだこの社会にはあるんだと思います。

このブログを書こうと思ったきっかけの一つは、高学歴で塾の先生を仕事にして、同じような高学歴を再生産していると、「偏差値主義者」の人間だと勘違いされることです。

山口知さんというゆめのたね放送局の仲間とお茶した時にも、彼は僕を偏差値の人だと思ってたみたいで、いや違うんですとこの話の原形みたいな話をしたら、「印象ががらっと変わった。」と言われことがあります。

逆に言えば、説明しないとそう見られてるってことなんですよね。

結論から言いますと、僕はこの「偏差値主義」からは完全にではないにしても、かなり解脱しました。

今はこう思ってます。
勉強ができるというのは、足がはやい、背が高い、イケメンとかと同じように個人がもってるスペックの一つに過ぎないです。

世の中には、本当に多様な特徴を持った人がいて、皆さんそれぞれのやり方で、時に苦しみながら自分の居場所や役割を見つけて、何かを周りに貢献しながら生きているんです。

だから、そういう意味でしっかり生きている人は皆さん尊い。

平凡ですが、職業に貴賎はないと言いますが、そこは上下関係ではなくて横並びです。

それぞれが違ってていいんです。
何やったって良いんですよ。
自分がしっかり自信をもって価値を生み出せているなら、それでいいじゃないですか?

 

かと言って、僕だって上から目線ですが(僕の目線は常に上からですが笑)、他人をみて素敵な人とそうでない人を判断します。

そこに自分の中で上下関係はあります。

その基準は至ってシンプルです。
笑顔で生きてるか?です。

どんなに立派な大学出ていて、いい収入を得ていてようが、不機嫌そうで世間や他人の価値観に迎合して「~でないといけない」と言う思考法で生きてる人に魅力は感じません。

それに対して、少々お金がなかろうとも、軸が自分の中にあって自分の価値判断で生きていて「~したい」で生きている人にはむちゃくちゃ魅力を感じます。

だいたいそういう人は笑顔で生きてます。

今、このブログを書きながら、僕の頭の中ではそういう素敵な人がどんどん浮かんできます。泣きそうなくらい浮かんできます。

そういう人の実例に何人も出会ったことが、僕の価値観を変えてくれて今に至ってます。
今書いてて思ったのですが、僕って人生を途中で「転生」してるんですね。

 

レターポットしてます。感想もらえると嬉しいです。

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